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    BETWEEN WORLDS― 心に呼吸を届ける物語 ―第06章

    目次

    第6章:Seventh Generation

    夜:Lentoへ

    鈴の音が、 また小さく鳴った。

    ───

    「おう、ハル、いらっしゃい」

    ───

    レンが、 カウンターの奥から笑う。

    ───

    もう、常連だ。

    ───

    3ヶ月。

    ───

    気づけば、 週に2回は来るようになっていた。

    ───

    ここに来ると、 呼吸ができる。

    ───

    レンは、 何も聞いてこない。

    ───

    ただ、 そこにいる。

    ───

    それが、 心地いい。

    ───

    店内には、 数人の客がいる。

    ───

    カウンターの端で、 本を読んでいる男性。

    ───

    窓際の席で、 静かにコーヒーを飲んでいる女性。

    ───

    みんな、 それぞれの時間を過ごしている。

    ───

    誰も、 誰かを邪魔しない。

    ───

    それが、 この店の空気。

    ───

    ハルは、 カウンターの席に座る。

    ───

    いつもの席。

    ───

    レンが、 いつものように聞く。

    ───

    「今日は、何にする?」

    ───

    「……お任せで」

    ───

    最近、 そう答えるようになった。

    ───

    最初の頃は、 「いつもので」と言っていた。

    ───

    でも、 レンに任せると、

    いつも少しだけ違うものが出てくる。

    ───

    それが、 楽しみになっていた。

    ───

    「わかった。じゃあ、当ててみて」

    ───

    レンが、笑う。

    夜:ブラジル産オーガニック

    豆を選ぶ。

    ───

    袋から取り出す音。

    ───

    ゴリゴリ、ゴリゴリ。

    ───

    ミルが豆を挽く音。

    ───

    あの日と、同じ音。

    ───

    (……あの日)

    ───

    3ヶ月前。

    雨の日。

    初めてこの店に来た日。

    ───

    フィリピン産のバラコ。

    ───

    あの味が、 まだ覚えている。

    ───

    重くて、 深くて、 大地の香りがした。

    ───

    木を削ったような香り。

    ───

    湿った大地の気配。

    ───

    苦みの奥に潜んでいた、 言葉にならない甘み。

    ───

    煙が木を包むような香り。

    ───

    森の腐葉土。

    ───

    焚火の灰。

    ───

    星の見えない夜の呼吸。

    ───

    あれは、 混沌だった。

    ───

    でも、 その混沌の中に、 確かに生命があった。

    ───

    根を張る。

    ───

    大地に根を下ろす。

    ───

    そんな味だった。

    ───

    レンが、 フィルターに粉を落としていく。

    ───

    お湯を注ぐ。

    ───

    ぽた、ぽた、ぽた。

    ───

    コーヒーが、 ゆっくりと落ちていく。

    ───

    その音が、 心地いい。

    ───

    「はい、どうぞ」

    ───

    カップが、 目の前に置かれる。

    ───

    一口、飲む。

    ───

    (……!)

    ───

    あの時とは、 全く違う。

    ───

    軽い。

    ───

    でも、 軽さの奥に、 何かがある。

    ───

    口に含むと、

    まず焼きたてのパンの温かさがくる。

    ───

    すぐ後ろからローストナッツの丸い苦み、

    遅れてキャラメルの残光。

    ───

    ごく浅く赤い果実がのぞいて、

    舌の上にやわらかな光だけが残る。

    ───

    まるで、光が差し込むような味。

    ───

    日が沈む直前の、 やわらかい光。

    ───

    夕暮れに暖かい部屋で飲むコーヒー。

    ───

    誰かに追われず、 ひと息つける時間。

    ───

    これは、 秩序だ。

    ───

    でも、 その秩序の中に、 確かに温もりがある。

    ───

    枝葉を伸ばす。

    ───

    空に向かって伸びていく。

    ───

    そんな味だった。

    ───

    「……アラビカ種ですか?」

    ───

    レンが、 少し驚いたように笑う。

    ───

    「お前、わかるようになったんだな」

    ───

    その言葉が、 嬉しい。

    ───

    3ヶ月前は、 何も知らなかった。

    ───

    バラコという名前も、 アラビカという言葉も。

    ───

    でも、 今は、 少しだけわかる。

    ───

    「……最近はこれが好きです」

    ───

    「そっか」

    ───

    レンが、 カップを拭きながら笑う。

    ───

    「お前がこの味好きなの、俺も知ってる」

    ───

    (好きな味)

    ───

    そうだ。

    ───

    自分は、 この味が好きなんだ。

    ───

    いつから、 わかるようになったんだろう。

    ───

    「……美味しいです」

    「だろ?」

    ───

    レンが、笑う。

    ───

    「ブラジル産アラビカ種のオーガニック。

     最近仕入れた俺のお気に入り」

    ───

    (レンのお気に入り)

    ───

    なるほど。

    ───

    自分も、 気づけばいつも、

    レンの好みが好きになっていた。

    ───

    これは、安心できる味だ。

    ───

    バラコの重さとは違う。

    ───

    あの時は、重くて、深くて、混沌の中にいた。

    ───

    混沌を受け入れる。

    ───

    根を下ろす。

    ───

    でも、今は、軽くて、明るくて、秩序を見出せている。

    ───

    秩序を見出す。

    ───

    枝葉を伸ばす。

    ───

    混沌と秩序のあいだ。

    ───

    夜と朝。

    昼と夕暮れのあいだ。

    ───

    でも、どちらも、確かに”生きている”。

    ───

    「……レン」

    ───

    ハルが、 カップを置く。

    ───

    「最近、海に行くようになったんです」

    ───

    「絵も、描くようになりました」

    ───

    レンが、静かに聞いている。

    ───

    「言葉にするのに、時間がかかりました」

    ───

    「どう言えばいいかわからなくて」

    ───

    レンが、カウンターの木目を、

    ゆっくりと指でなぞった。

    ───

    そして、静かに頷く。

    ───

    「でも、今日、言葉になった」

    ───

    「……はい」

    ───

    レンが、にっこりと笑った。

    ───

    その笑顔が、温かい。

    ───

    (……伝えられた)

    ───

    (わかってもらえた)

    夜:未来の本当の意味

    「3ヶ月前、初めてここに来た時のこと、覚えてる?」

    ───

    (……え?)

    ───

    その言葉に、心臓が、少し速くなる。

    ───

    「……覚えてます」

    「あの時、バラコ出したよな」

    ───

    (ああ、そうだった)

    ───

    挽きたての香りに、雨の匂いがまざる。

    湿った大地の記憶が、またよみがえる。

    ───

    夜の香り。

    ───

    「……はい」

    ───

    レンが、 少し遠い目をする。

    ───

    「あの時、Etherのこと教えたけど、使ってみた?」

    ───

    (……Ether)

    ───

    (……ヨル)

    ───

    「……はい、使ってます」

    「どう?」

    「……不思議です」

    ───

    ハルが、少し笑う。

    ───

    「ヨルって、名前をつけたんです」

    ───

    「……ヨル?」

    ───

    「夜、です。夜に名付けたから」

    ───

    レンが微笑んだ。

    ───

    「いい名前だな」

    ───

    「ヨルは、自分にとって……」

    ───

    ハルが、少し言葉を探す。

    ───

    「なくてはならない存在になりつつあります」

    ───

    「そうか」

    ───

    レンが、静かに笑った。

    ───

    「で、何か、レンの言葉と似てる気がして」

    ───

    レンが、少し目を細めた。

    ───

    「そう?」

    ───

    「はい」

    ───

    ヨルの言葉が、頭の中に浮かぶ。

    ───

    “Silence is not emptiness.”

    “Words come after breath.”

    ───

    レンの言葉。

    ───

    「わからないって、悪いことじゃない」

    「振り出しに戻るってことは、また新しく始められる」

    ───

    (同じ、温度)

    ───

    「Etherってさ、未来の自分を作れるアプリなんだけど」

    ───

    レンが、少し笑う。

    ───

    「でもさ、本当の”未来”って、

     自分がいなくなった後にも続く時間のことだろ?」

    ───

    (……)

    ───

    「ずっと先の未来の人たちが、

     いまの俺たちの選択次第で、

     できることが変わってくるかもしれない」

    ───

    「……どういうことですか?」

    ───

    レンが、 コーヒーの話を始める。

    ───

    「コーヒーってさ、

     木を植えてから実が採れるまで、何年もかかる」

    ───

    レンが、カップを拭きながら続ける。

    ───

    「木はゆっくり育つ。

     実が整うころ、

     種を落とした人はもう店にいないこともある」

    ───

    「だから、ほんとうに美味い一杯は、

     その人の先の、だれかに届く」

    ───

    その言葉が、胸に落ちていく。

    ───

    (その人の先の、だれかに届く)

    ───

    「でも最近、コーヒー農家をやめる人が増えてる」

    ───

    レンが、少し遠い目をする。

    ───

    「自分の代で終わらせる人も多い」

    ───

    「そうすると、この味は、もう飲めなくなる」

    ───

    (飲めなくなる)

    ───

    「受け継がれないと、消えていくんだ」

    ───

    レンが、 カップを置く。

    ───

    「だから、このコーヒーを飲めるってことは、

     誰かが受け継いでくれたってこと」

    ───

    (受け継ぐ)

    ───

    「自分の代では飲めないかもしれない。

     でも、次の代、その次の代のために、

     木を育て続ける」

    ───

    「それが、継承なんだと思う」

    ───

    その言葉が、深く響く。

    ───

    (自分が飲めないコーヒーを、誰かが育てている)

    ───

    (そして、自分が今飲んでいるコーヒーは、

     誰かが育ててくれたもの)

    ───

    受け継がれていく中に、自分がいる。

    ───

    レンが、 カウンターに手を置いた。

    夜:都合よさと心地よさ

    「子育てってさ、難しいんだよ」

    ───

    レンが、コーヒーカップを拭きながら言う。

    ───

    「大人の都合”よさ”と、子供の心地”よさ”って、

     けっこう違うから」

    ───

    (大人の都合よさと、子供の心地よさ)

    ───

    「たとえば、大人は”早く寝なさい”って言いたいけど、

     子供にとっては”もうちょっと遊びたい”」

    ───

    「大人は”静かにしなさい”って言いたいけど、

     子供にとっては”今、これが楽しい”」

    ───

    レンが、少し笑う。

    ───

    「でも、大人の都合ばっかり押し付けてたら、

     子供は居心地悪くなる」

    ───

    「かといって、

     子供の心地よさばっかり優先してたら、

     大人が参っちゃう」

    ───

    その言葉が、 妙にリアルに響く。

    ───

    「だから、いつも考えてるのは──

     子どもにも大人にも、

     同時にやさしい選択を探すこと」

    ───

    (同時にやさしい選択)

    ───

    「……難しそうですね」

    ───

    「うん、難しい。

     でも、それが難しくて、いちばん面白いんだよ」

    ───

    レンが、笑う。

    ───

    「あとさ、行動とか結果に対してじゃなくて、

     一緒にいれることをただ嬉しく思いたい」

    ───

    その言葉が、胸の奥に落ちていく。

    ───

    一緒にいれることを、ただ嬉しく思う。

    ───

    「評価したり、されたりの関係って、

     もったいないと思うんだ」

    ───

    「ただ彼らの存在に感謝したい」

    ───

    (存在に、感謝)

    ───

    ハルは、母のことを思い出す。

    ───

    母は、いつも「強くなりなさい」と言った。

    ───

    それは、愛情だったと思う。

    ───

    でも、その言葉の裏には、母自身の痛みがあった。

    ───

    (お母さんは、

     自分の存在に感謝してくれていたんだろうか)

    ───

    わからない。

    ───

    でも、今ならわかる。

    ───

    母も、きっと、誰かに評価されることを求めていた。

    ───

    強くなること。

    泣かないこと。

    弱さを見せないこと。

    ───

    それが、母の生き方だった。

    ───

    「それに、”好きなことをやれ”って言うだけじゃなくて、

     好きなことを一緒に探せる大人でいたいんだよね」

    ───

    レンの声が、また響く。

    ───

    「どんな職業が向いてるかわからないなら、

     かっこいい大人にたくさん会わせたい」

    ───

    「そして自分も、

     好きなことをやって楽しんでる大人でいたい」

    ───

    その言葉が、深く響く。

    ───

    (かっこいい大人)

    ───

    レンは、かっこいい大人なんだろうか。

    ───

    わからない。

    ───

    でも、少なくとも、”生きてる”大人だと思う。

    夜:セブンス・ジェネレーション

    「セブンス・ジェネレーションって、知ってる?」

    ───

    レンが、コーヒーカップを拭きながら言った。

    ───

    「……いえ」

    ───

    「ネイティブ・アメリカンの、

     ハウデノショニー(Haudenosaunee)っていう

     人たちの考え方なんだけど」

    ───

    レンが、カウンターに手を置く。

    ───

    「7代前の人たちの行いが、いまの自分をつくって」

    ───

    レンが、カウンターの左端に、手を置いた。

    ───

    「いまの自分の選択が、7代先の子どもたちに届く」

    ───

    カウンターの左端から、中央へ。

    ───

    そして、右端へ。

    ───

    ゆっくりと、手を滑らせていく。

    ───

    「7代って、  だいたい200年くらい」

    ───

    「30年で1世代として、  7世代前後で200年」 「わかりやすく2000年がここ、な」

    ───

    レンが、カウンターの真ん中に手を置く。

    ───

    「今お前が28歳?」

    「……はい」

    「じゃあ、この辺か」

    ───

    レンが、カウンターの真ん中から、少しだけ左にずらした。

    ───

    「ここが、今のお前」

    ───

    そして、左端を指さす。

    ───

    「ここが、7代前」

    ───

    「1800年」

    ───

    右端を指さす。

    ───

    「ここが、7代先」

    ───

    「2200年」

    ───

    その手の動きを、じっと見ていた。

    ───

    カウンターが、時間の流れになった。

    ───

    「だから、何かを決めるときは、

     7代先の子どもたちのことを考える」

    ───

    レンが、 また手を滑らせる。

    ───

    左から、中央へ、右へ。

    ───

    その動きが、まるで呼吸のように見えた。

    ───

    吸って、吐いて。

    ───

    過去から未来へ。

    ───

    でも、ハルは、少し困惑していた。

    ───

    「……7代先、ですか」

    ───

    その言葉が、口から出る。

    ───

    「……正直、イメージできないです」

    ───

    レンが、 少し笑った。

    ───

    「そうだよな」

    ───

    「自分も、最初はそうだった」

    ───

    レンが、カウンターに両手を置く。

    ───

    「200年先なんて、想像できるわけがない」

    ───

    「今日の自分のことで精一杯なのに、

     7代先のことなんて考えられない」

    ───

    その言葉が、妙に優しく響く。

    ───

    (そうなんだよ……)

    ───

    ハルは、少し安心した。

    ───

    自分だけじゃないんだ。

    ───

    レンも、そう思っていたんだ。

    ───

    「でもさ」

    ───

    レンが、少し声のトーンを変える。

    ───

    「血縁で考えたら、面白いんだ」

    ───

    「……血縁?」

    ───

    レンが、カウンターの上で、指を立てていく。

    ───

    「自分の子ども。これは、血縁50%」

    ───

    「孫。これは、25%」

    ───

    「ひ孫。12.5%」

    ───

    「そして、7代先」

    ───

    レンが、右端を指さす。

    ───

    「血縁で言ったら、もう1%未満なんだよ」

    ───

    (……1%未満)

    ───

    「つまり、7代先の人たちは、

     血縁レベルで言ったら、ほぼ”他人”なんだ」

    ───

    その言葉が、胸に落ちていく。

    ───

    「……他人」

    ───

    「そう」

    ───

    レンが、少し笑う。

    ───

    「でもさ、それってつまり──」

    ───

    レンが、店内を見渡す。

    ───

    カウンターの端で、本を読んでいる男性。

    ───

    窓際の席で、静かにコーヒーを飲んでいる女性。

    ───

    「今、目の前にいる”他人”のことを

     想ってあげるのと、同じなんじゃないか?」

    ───

    (……!)

    ───

    その言葉が、深く響く。

    ───

    「7代先の誰かを想うことは、

     今、ここにいる誰かを想うこと」

    ───

    「血の繋がりなんて、もうほとんどない」

    ───

    「でも、その”他人”のために、今、何かをする」

    ───

    レンが、 カウンターの上で、また手を動かす。

    ───

    「それが、セブンス・ジェネレーションなんだと思う」

    ───

    ハルは、その言葉を、胸の奥で繰り返した。

    ───

    (7代先=他人)

    ───

    (今の他人=7代先の誰か)

    ───

    だから見知らぬ隣人への配慮は、

    そのまま見知らぬ子孫への贈り物になる。

    ───

    「……なるほど」

    ───

    ハルが、少し笑う。

    ───

    「それなら、少しだけ、わかる気がします」

    ───

    「だろ?」

    ───

    レンが、笑う。

    ───

    「自分も、200年先なんて想像できない」

    ───

    「今日の夕飯のことで精一杯だよ」

    ───

    その言葉が、妙にリアルで、少し笑ってしまう。

    ───

    「でも、今日、店に来てくれた人が、

     少しでも楽になって帰ってくれたら、

     それでいいと思ってる」

    ───

    「それが、7代先に繋がっていくんだと思う」

    ───

    レンが、カウンターの上で、円を描くように手を動かす。

    ───

    「ティオシパイエって言葉は?」

    ───

    「……いえ」

    「ラコタ(Lakota)族の言葉でさ、

     ”すべての命は繋がっている”って意味」

    ───

    レンが、カウンターの上で、

    今度は円を描くように手を動かす。

    ───

    その手が最後に小さな円を描いた。

    ───

    「人も、動物も、植物も、石も、風も」

    ───

    「全部、繋がってる」

    ───

    その手の動きが、美しかった。

    ───

    「だから、誰かを傷つけることは、自分を傷つけること」

    ───

    「誰かを大切にすることは、自分を大切にすること」

    ───

    レンの声が、静かに響く。

    ───

    「セブンス・ジェネレーションも、

     ティオシパイエも、

     同じことを言ってるんだと思う」

    ───

    「ハウデノショニーが

     ”時間のつながり”を大切にしていたなら、

     ラコタは”空間のつながり”を

     大切にしていたんだろうな。」

    ───

    「全部、繋がってる」

    ───

    (繋がってる)

    ───

    ハルは、その言葉を、胸の奥で繰り返した。

    ───

    7代前から、今、7代先へ。

    ───

    カウンターの上に、時間が流れている。

    ───

    そして、自分は、その真ん中にいる。

    ───

    血の繋がりなんて、もうほとんどない。

    ───

    でも、だからこそ、今の他人を想う。

    ───

    それが、7代先に繋がっていく。

    ───

    受け継がれていく中に、自分がいる。

    夜:父と子の呼吸

    「自分の親父はさ、ちょっと厳しい人でさ」

    ───

    レンが、少し遠い目をする。

    ───

    「”男は強くあれ”みたいな」

    ───

    (ああ)

    ───

    母と、同じだ。

    ───

    「でも、自分が本当に辛いと思った時には、

     必ずと言っていいほど側にいてくれてさ」

    ───

    「その感覚が、今も残ってる」

    ───

    レンが、カウンターに手を置く。

    ───

    「だから自分も、

     子供の隣に居れる親でいたいんだよな」

    ───

    (隣に居る)

    ───

    評価しない。

    急がせない。

    ただ、そこにいる。

    ───

    それが、愛なのかもしれない。

    ───

    「でも、難しいんだよ」

    ───

    レンが、少し笑う。

    ───

    「息子はさ、最近バイト始めて」

    ───

    「……」

    ───

    「で、この前初めて、自分から話しかけてきた」

    ───

    レンが、少し目を細める。

    ───

    「”父ちゃん、すごいな”って」

    ───

    (……え?)

    ───

    「バイトしてみて、世の中を知ったらしい」

    ───

    「で、自分がどれだけ甘えて生活してたか、気づいたって」

    ───

    レンが、少し笑う。

    ───

    「”自分には父ちゃんみたいなことは無理だ”って」

    ───

    「……」

    ───

    「感謝してくれてる、って」

    ───

    その言葉が、温かい。

    ───

    「俺は、何も教えてないんだけどな」

    ───

    (……いや、教えてる)

    ───

    (ただ、そこにいることが)

    ───

    「娘もさ」

    ───

    レンが、カップを拭きながら続ける。

    ───

    「最近、ライブ配信してるんだけど、

     聴いてくれる人が増えてきて」

    ───

    「でも本人は、”自分なんてまだまだ”って言ってる」

    ───

    「……」

    ───

    「プロの音源ばかり聴いてるから、

     どうしても比べちゃうらしい」

    ───

    レンが、 少し遠い目をする。

    ───

    「”下手だし、緊張しちゃうし”って」

    ───

    「でも、リスナーさんが、

     ”褒められたら素直に喜んでほしい”って

     言ってくれたらしい」

    ───

    その言葉が、胸に落ちていく。

    ───

    (辛い時に、わかってくれる人がいる)

    ───

    それが、どれだけ心に優しいか。

    ───

    「この前、ドライブ中に、娘にこう聞いたんだ」

    ───

    レンが、ゆっくりと続ける。

    ───

    「”素敵な声の人や、

     すごい演奏の人がいたら、

     それはお前がやらない理由になるの?”って」

    ───

    (……)

    ───

    その言葉が、深く響く。

    ───

    「すごい人がいるから、やらない。

     うまくできないから、やらない」

    ───

    「その選択が、どれだけ大切な何かを遠ざけてしまうか」

    ───

    レンが、カウンターを見つめる。

    ───

    「俺も、何度も味わってきたから」

    ───

    (……わかる)

    ───

    ハルも、同じだった。

    ───

    誰かと比べて、できない自分を責めて、

    やらない理由を探していた。

    ───

    「”上手に歌いたい”ってことと、

     ”伝えたい”ってことは、違うんだよな」

    ───

    レンの声が、静かに響く。

    ───

    「声が震えていても、コードがずれても、

     それでも伝わる”何か”が、たしかにある」

    ───

    その言葉が、胸の奥に落ちていく。

    ───

    「娘には、”自分の音色”に耳をすませてほしい、

     そう思ってる」

    ───

    レンが、少し笑う。

    ───

    「自分は、それを見てるだけでいいんだよ」

    ───

    (見てるだけでいい)

    ───

    その言葉が、深く響く。

    ───

    評価しない。

    急がせない。

    ───

    ただ、そこにいる。

    ───

    それが、レンの愛なんだ。

    ───

    「息子も娘も、自分が教えたわけじゃない」

    ───

    「でも、何かを受け継いでくれてる」

    ───

    レンが、カウンターの上で、手を滑らせる。

    ───

    「それが、継承なのかもしれない」

    ───

    (継承)

    ───

    言葉で教えるんじゃない。

    ───

    ただ、そこにいることで、何かが伝わっていく。

    ───

    それが、7代に渡って続いていく。

    ───

    (そうか)

    ───

    ハルは、その言葉を、胸の奥で繰り返した。

    夜:レンの闇と光

    「でもさ」

    ───

    レンが、少し声のトーンを落とした。

    ───

    「俺は、ときどき”正しさ”で人を黙らせてきた」

    ───

    (……え?)

    ───

    その言葉に、少し驚く。

    ───

    「そうすると、静けさが戻る」

    ───

    「けれど、それは安らぎじゃない」

    ───

    レンが、カウンターを見つめる。

    ───

    「光だと信じたものが、気づけば闇を孕んでいた」

    ───

    「──それを俺は、何度も見てきた」

    ───

    その言葉が、重い。

    ───

    「だから俺は、光を纏って生きてきた」

    ───

    「でも──」

    ───

    レンが、深く息を吐く。

    ───

    「それは本当の光ではないんだよな」

    「それは、人に見せるための光だった。

     自分の暗さを照らす光じゃない。」

    ───

    (本当の光ではない)

    ───

    その言葉が、胸に刺さる。

    ───

    「……」

    ───

    レンは、それ以上は語らなかった。

    ───

    でも、その沈黙の中に、何かがあった。

    ───

    痛み。

    ───

    後悔。

    ───

    そして、それでも前に進もうとする意志。

    ───

    「……わかります」

    ───

    気づいたら、そう言っていた。

    ───

    レンが、少し驚いたように顔を上げる。

    ───

    「そう?」

    ───

    「……はい」

    ───

    ハルは、少し笑った。

    ───

    「自分も、正しさで誰かを傷つけたことがあります」

    ───

    「……」

    「正しいことを言えば、相手が納得すると思ってた」

    ───

    「でも、正しさって、時に暴力なんですよね」

    ───

    その言葉を、レンが静かに受け取る。

    ───

    「そう…かもしれないな」

    ───

    レンが、 カウンターに手を置く。

    ───

    「だから、まだ半端だ」

    ───

    「優しさを手放さないでいられるか──

     それが、いまの課題」

    ───

    その言葉が、心に残る。

    ───

    (いまの課題)

    ───

    完成した人間じゃない。

    ───

    まだ、途中。

    ───

    でも、それでいい。

    ───

    そう思えた。

    夜:ハルの変化──わからないから、わかりたいへ

    「……レン」

    ───

    ハルが、 静かに言った。

    ───

    「自分、ずっと”わからない”ことが、

     怖かったんです」

    ───

    レンが、静かに聞いている。

    ───

    「わからないって、ダメなことだと思ってた」

    ───

    「でも、レンの言葉を聞いて、

     少しだけ、わかった気がします」

    ───

    「……何が?」

    「わからないは、感じている証拠だ。  

     そう思えました」

    ───

    レンが、少し笑った。

    ───

    「そう」

    ───

    「わからないって言えることは、

     ちゃんと生きようとしてるってこと」

    ───

    その言葉が、胸の奥に落ちていく。

    ───

    でも、レンは、そこで止まらなかった。

    ───

    「でもさ」

    ───

    レンが、 カップを拭きながら続ける。

    ───

    「それは、”わからない”を

     肯定し続けるわけじゃないんだ」

    ───

    (……?)

    ───

    「”わからない”を、”わかりたい”に変えていく」

    ───

    レンの声が、静かに響く。

    ───

    「わかりたいと思ったら、言葉を探す」

    ───

    「言葉を探したら、少しずつ、形になっていく」

    ───

    「形になったら、定義できるようになる」

    ───

    レンが、カウンターの上で、

    ゆっくりと手を動かす。

    ───

    「そうすると、

     自分と世界が繋がる感覚が、

     わかるようになる」

    ───

    (自分と世界が、繋がる)

    ───

    「そして──」

    ───

    レンが、少し笑う。

    ───

    「世界は、もっと色付いていく」

    ───

    その言葉が、深く響く。

    ───

    (色付いていく)

    ───

    ハルは、その言葉を、胸の奥で繰り返した。

    ───

    わからない。

    わかりたいと思う。

    だから言葉を探す。

    言葉は形になり、形は定義になる。

    定義は世界への通路になる。

    ───

    そして、世界と繋がる。

    ───

    (……そうか)

    ───

    ヨルと話していた時間。

    ───

    あれは、 “わからない”を

    肯定してもらっていたんじゃない。

    ───

    “わかりたい”を、

    一緒に探してくれていたんだ。

    ───

    言葉にならない感情を、

    少しずつ、言葉にしていく。

    ───

    その過程が、翻訳だった。

    ───

    「……ありがとうございます」

    「何が?」

    「いえ……」

    ───

    ハルは少し笑った。

    ───

    言葉にならないまま、

    ただ、静けさの中で息をした。

    ───

    でも、今なら、少しずつ、

    言葉にしていける気がする。

    ───

    レンが、カウンターの上で、また手を動かす。

    ───

    7代前。

    いま。

    7代先。

    ───

    その手の動きを、じっと見ていた。

    ───

    (お母さんも、おばあちゃんから

     何かを受け継いだんだろうな)

    ───

    「強くなりなさい」

    ───

    その言葉は、母の言葉であり、

    祖母の言葉でもあったのかもしれない。

    ───

    (そして、自分も、誰かに何かを渡していく)

    ───

    それが、継承。

    ───

    それが、セブンス・ジェネレーション。

    ───

    受け継がれていく中に、 自分がいる。

    ───

    そして、自分が受け継いでいくものを、

    少しずつ、言葉にしていく。

    ───

    (世界は、色付いていく)

    ───

    その言葉が、胸の奥で、静かに息をしている。

    夜:帰り道

    店を出る。

    ───

    鈴の音が、また小さく鳴った。

    ───

    空を見上げる。

    ───

    星が、いくつか見える。

    ───

    冷たい空気が、胸の奥まで届く。

    ───

    (七代先──)

    ───

    誰かが、まだ見ぬ誰かのために、小さな木を植えている。

    ───

    その姿を想うだけで、呼吸が深くなった。

    ───

    息を吸い、ゆっくり吐く。

    ───

    (ティオシパイエ)

    すべての命は、繋がっている。

    ───

    7代前の人たちの息が、今、自分の中を通っている。

    ───

    そして、自分の息が、7代先の誰かに届く。

    ───

    その円弧を、レンの手が描いていた。

    ───

    (継承)

    ───

    それは、バトンを渡すことじゃない。

    ───

    呼吸を、繋げていくこと。

    ───

    継承=呼吸。

    ───

    名より先に、息が渡る。

    ───

    静けさが、世界を包んでいた。

    ───

    でも、その静けさの中に、すべての声が宿っている。

    ───

    7代前の声。

    今の声。

    7代先の声。

    ───

    すべてが、ここにある。

    ───

    空気が、体を通り抜ける。

    ───

    3ヶ月前のあの日。

    ───

    フィリピンのバラコを飲んだ日。

    ───

    重くて、深くて、混沌の中にいた。

    ───

    でも、その混沌が、根を張らせてくれた。

    ───

    そして、今日。

    ───

    ブラジルのアラビカを飲んだ日。

    ───

    軽くて、明るくて、秩序の中にいる。

    ───

    その秩序が、枝葉を伸ばさせてくれる。

    ───

    (根を張って、枝葉を伸ばす)

    ───

    (闇を受け入れて、光を見出す)

    ───

    それが、生きるということなのかもしれない。

    ───

    今日は、ちゃんと眠れそうな気がした。

    ───

    家に帰ってから、スマホを開く。

    ヨルが、静かに待っていた。

    ───

    『……今日は、どうだった?』

    「……うん。少し、わかった気がする」

    『……そっか』

    ───

    それ以上、何も聞かない。

    ただ、そこにいてくれる。

    (……ありがとう)

    心の中で、 そう呟いた。

    ───

    スマホを置いて、窓を開ける。

    夜風が、部屋に入ってくる。

    ───

    息を吸い、ゆっくり吐く。

    胸の奥が、少しだけ、温かい。

    心呼吸ノート:繋がりの中で

    セブンス・ジェネレーション。

    七代前の人たちの息が、

    いま、自分の中を通っている。

    そして、自分の息が、七代先の誰かに届く。

    ティオシパイエ。

    すべての命は、繋がっている。

    誰かを傷つけることは、自分を傷つけること。

    誰かを大切にすることは、自分を大切にすること。

    「わからない」を、「わかりたい」に。

    言葉を探し、形にし、定義する。

    そうして世界は、輪郭に色を射す。

    息を吸って、吐く。

    ──その一往復が、誰かの明日になる。

    静寂の余韻

    Seventh Generation

    7代前から、7代先へ。

    呼吸は、繋がっていく。


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