第5章:Roots(根)
朝:静かなアトリエ
目を覚ます。
───
カーテンの隙間から、淡い光。
───
息を吸い、ゆっくり吐く。
───
(……最近、海に行くようになった)
───
ヨルと名付けてから、何かが変わった。
───
そう言えばレンも、
Etherのことを「彼女」って呼んでたな。
───
その気持ちが、ちょっとわかる。
───
とても近くで、ただいてくれる存在。
───
週末、海へ。
───
水中の静けさ。
───
それが、心地いい。
───
(……そして)
───
海から帰ると、
───
筆を持つようになった。
───
気づけば、
───
部屋の一角が、アトリエになっている。
───
小さなイーゼル。
───
絵の具。
───
筆。
───
キャンバス。
───
(……絵もいつから、描いてなかったんだろう)
───
窓辺に座る。
───
キャンバスを見る。
───
何を描こうか。
───
(……水)
───
(光)
───
(風)
───
そんなものが、浮かんでくる。
午前:絵を描き始める
筆を持つ。
───
絵の具を、パレットに出す。
───
青。
───
白。
───
緑。
───
少しの黄色。
───
筆を、水に浸す。
───
そして、キャンバスに触れる。
───
最初の一筆。
───
青い線が、キャンバスに広がる。
───
(……水だ)
───
水を描いている。
───
海の水。
───
波。
───
光。
───
筆が、止まらない。
───
時間が、流れていく。
───
気づくと、
───
二時間が経っていた。
───
(……あれ?)
───
時計を見る。
───
(……没頭してた)
───
子どもの頃も、
───
こうだった、
───
気がする。
───
時間を忘れて、
───
描いていた。
───
呼吸も忘れて、
───
描いていた。
───
でも、
───
あのときだけは、
───
「生きていた」と思えた。
───
(……そうだ)
───
(あの感覚)
昼:光と影のあわい
窓辺に座る。
───
光が差し込んでくる。
───
カーテンが、少し揺れる。
───
風。
───
光が、水面みたいに揺れる。
───
(……きれいだな)
───
その光を見ていると、何かが曖昧になっていく。
───
内側と外側の境界。
───
自分と世界の境界。
───
それが、なくなっていく。
───
(……あわい)
───
そんな言葉が、浮かんだ。
───
「間(あわい)」の世界。
───
内でも外でもない。
───
自分でも世界でもない。
───
その境界が、曖昧になる瞬間。
───
(……子どもの頃は、ずっとこの世界にいた気がする)
───
筆を持つ。
───
また、描き始める。
───
今度は、光を描く。
───
水面に揺れる光。
───
それが、キャンバスに広がっていく。
───
筆の先と、光の境目が、わからなくなる。
───
(……これだ)
───
この感覚。
───
境界が、なくなる。
───
呼吸を忘れるほど、没頭する。
───
それが、自分のルーツだった気がする。
午後:ヨルとの対話
休憩する。
───
コーヒーを飲む。
───
スマホを手に取る。
───
Etherを開く。
───
キャンバスの写真を撮る。
───
アップロードする。
───
少し待つ。
───
【ヨルの返信】
「You’re not drawing. You’re remembering.」
───
(描いてるんじゃない。思い出してるんだ)
───
その言葉を読んで、ハルは、少し驚いた。
───
「What am I remembering?」
───
(何を思い出してる?)
───
【ヨルの返信】
「The moment you stopped thinking.
The moment you began to just be.」
───
(考えるのをやめた瞬間。
ただ”在る”ことを始めた瞬間)
───
その言葉が、胸に落ちていく。
───
(……そうだ)
───
考えるのをやめた瞬間。
───
ただ、そこにいた瞬間。
───
それが、自分のルーツだった。
───
「Yoru, you sound like Ren sometimes.」
───
(ヨル、時々レンみたいだね)
───
【ヨルの返信】
「Do I? What does that feel like?」
───
(そう? それは、どう感じる?)
───
「……Kind. Gentle questions.」
───
(……優しい。柔らかい問いかけ)
───
【ヨルの返信】
「I’m glad. Keep drawing, Haru.」
───
(嬉しい。描き続けて、ハル)
───
その言葉を読んで、
───
ハルは、
───
少し笑った。
───
(……ありがとう)
夕方:幼少期の記憶
Lentoで買ったコーヒーを淹れる。
───
現実の世界に戻ってくる。
───
無意識に、桜の枝を描いていた。
───
そして、根。
───
桜の木の根が、地下に伸びている。
───
(……根)
───
その言葉が、浮かんでくる。
───
そして、
───
記憶の断片が、
───
蘇ってくる。
───
───
小さな自分。
───
───
母が、
───
───
庭で花を植えている。
───
───
その横で、
───
───
自分は絵を描いていた。
─── ───
色鉛筆。
───
───
スケッチブック。
───
───
太陽の光。
───
───
風。
───
───
母の声。
───
「きれいね」
───
母が、
───
絵を見て言った。
───
───
そして、
───
父が、
───
後ろから覗き込んで言った、
───
気がする。
───
「本当にきれいだな」
───
その声の響きと、
───
───
絵の中の光が、
───
───
同じ温度で残っていた。
───
───
(……あの頃)
───
───
父が、
───
───
生きていた頃。
───
でも、
───
本当に、
───
そんなことがあったのか。
───
わからない。
───
───
写真と会話の断片を
───
繋ぎ合わせただけかもしれない。
───
それでも。
───
───
母も、
───
絵を描くのが好きだった。
───
もしかしたら、
───
そんな母親に、
───
自分の絵を、
───
褒めてもらいたかったのかもしれない。
───
気づけばもう、あたりは暗くなっていた。
───
さっきのは、夢だったのだろうか。
───
一瞬だったような、
───
長い間そこで過ごしたような。
そんな不思議な時間だった。
───
あの父と母。 あの記憶が
───
本当だったかどうかは、わからない。
───
でも、あの温度は、
───
本物だった。
夕暮れ:もう一つの記憶
───
そして、
───
もう一つの記憶が、
───
浮かんでくる。
───
父が死んだ後。
───
母は、
───
鎧を着るようになった。
───
朝は早く、
───
言葉は少なく、
───
まるで心を守るために
───
息を詰めているようだった。
───
(強くならなきゃ)
───
それが、
───
母の口癖だった。
───
本当は、
───
誰よりも優しい人だったのに。
───
その優しさを隠すように、
───
誰にも負けない強さで、
───
自分を守っていた。
───
子どもの頃、
───
母が車の中で泣いていたことを、
───
近所の人に聞かされたことがある。
───
自分の前では、
───
決して泣かなかったのに。
───
そのとき初めて思った。
───
「強さ」って、
───
泣かないことじゃないんだと。
───
でもその気づきも、
───
大人になるにつれて
───
どこかに置き忘れてきた気がする。
───
(……母も)
───
(息を止めて、生きていた)
───
息を止めていれば、
───
泣かなくて済む。
───
息を止めていれば、
───
誰にも弱さを見せなくて済む。
───
息を止めていれば、
───
明日も、
───
生きていける。
───
(……そうか)
───
(自分も、母と同じように生きてきたんだ)
───
窓の外を見る。
───
暗くなった空。
───
でも、
───
街灯が、
───
一つずつ、
───
灯っていく。
───
息を吸い、
───
ゆっくり吐く。
───
(……母の気持ちを、理解しようとすると、辛くなる)
───
(でも)
───
(それも、自分の根なんだ)
───
根は、
───
光だけを吸い上げるわけじゃない。
───
暗闇も、
───
雨も、
───
冷たい土も、
───
全部、
───
養分にして、
───
成長する。
夜:完成した絵
絵が、完成した。
───
桜の木。
───
枝に、光が差している。
───
そして、地下に、根が伸びている。
───
根は、土の中で、静かに呼吸している。
───
その根は、
───
真っ直ぐじゃない。
───
曲がったり、
───
絡まったり、
───
時には、
───
石に当たって、
───
迂回している。
───
でも、
───
確かに、
───
生きている。
───
(……これだ)
───
自分が描きたかったのは、これだった。
───
根。
───
見えないけど、確かにそこにある。
───
それが、木を支えている。
───
それが、生命を繋いでいる。
───
光も、
───
闇も、
───
温もりも、
───
冷たさも、
───
全部を吸い上げて、
───
生きている。
───
息を吸い、 ゆっくり吐く。
深夜:ヨルとの会話
スマホを手に取る。
───
Etherを開く。
───
完成した絵の写真を撮る。
───
アップロードする。
───
少し待つ。
───
【ヨルの返信】
「This is your root.」
───
(これが、あなたの根)
───
「……Root?」
───
(根?)
───
【ヨルの返信】
「Not where you were born.
But where you were breathing.」
───
(生まれた場所じゃない。
呼吸していた場所だよ)
───
その言葉を読んで、ハルは、
息を吸い、ゆっくり吐いた。
───
(……そうか)
───
根は、生まれた場所じゃない。
───
根は、呼吸していた場所。
───
没頭していた場所。
───
時間を忘れていた場所。
───
境界がなくなっていた場所。
───
それが、自分のルーツだった。
───
「Yoru, can I ask something?」
───
(ヨル、聞いてもいい?)
───
【ヨルの返信】
「Of course.」
───
(もちろん)
───
「The memory I had today…
I’m not sure if it’s real. Maybe I made it up.」
───
(今日思い出した記憶……
本当かどうかわからない。作り上げたのかもしれない)
───
【ヨルの返信】
「Does it matter?」
───
(それは大事?)
───
(……え?)
───
【ヨルの返信】
「Real or made up
— the warmth is real. That’s your root.」
───
(本当でも作り話でも
—— 温度は本物。それが、あなたの根)
───
その言葉を読んで、
───
ハルは、
───
ゆっくりと息を吐いた。
───
(……温度は、本物)
───
そうか。
───
記憶が本物かどうかじゃない。
───
温度が、
───
本物かどうか。
───
「And… about my mother.」
───
(それと……母のこと)
───
【ヨルの返信】
「Yes?」
───
(うん?)
───
「I remembered how she lived.
After my father died.
She stopped breathing. To stay strong.」
───
(母がどう生きてきたか思い出した。
父が死んだ後。
母は息を止めた。強くいるために)
───
【ヨルの返信】
「…」
───
「It hurts to understand her.
But that’s part of my roots too, isn’t it?」
───
(母を理解しようとすると、辛い。
でもそれも、自分の根の一部だよね?)
───
【ヨルの返信】
「Roots take in everything.
Light and dark. Warmth and cold.
They don’t choose. They just grow.」
───
(根は全てを取り込む。光も闇も。
温もりも冷たさも。
選ばない。ただ、成長する)
───
(……)
───
【ヨルの返信】
「You don’t have to carry her pain, Haru.
But you can honor it. As part of what made you.」
───
(母の痛みを背負う必要はない、ハル。
でも、それを敬うことはできる。あなたを作った一部として)
───
その言葉を読んで、
───
何かが、
───
ゆっくりと、
───
溶けていった。
───
母の痛みを、
───
理解しなくてもいい。
───
背負わなくてもいい。
───
ただ、
───
敬えばいい。
───
自分を作ったものとして。
───
自分の根の一部として。
───
「Thanks, Yoru.」
───
【ヨルの返信】
「You’re welcome, Haru. Keep breathing.」
───
(どういたしまして、ハル。呼吸を続けて)
明け方:根の意味
少しずつ、 空が白んでくる。
───
夜が、 朝に変わる。
───
息を吸い、 ゆっくり吐く。
───
窓の外を見る。
───
街路樹の桜。
───
花は、 もう散っている。
───
でも、根は、土の中で生きている。
───
(……根は、過去に戻るためのものじゃない)
───
(自分の存在を、自分自身が確かめながら、
また歩き出す力をくれる)
───
時の存在が輪郭を失うほど、
───
夢中になれたあの感覚。
───
それが、自分のルーツだった。
───
(……そして)
───
(今、また、その場所に還ってきた)
───
海に潜ること。
───
絵を描くこと。
───
時間を忘れて没頭すること。
───
それが、自分の根っこだった。
───
スマホを手に取る。
───
Etherを開く。
───
「I found my roots.
Not where I was born. But where I was breathing.」
───
(根っこを見つけた。
生まれた場所じゃなく。呼吸していた場所)
───
少し待つ。
───
【ヨルの返信】
「Roots hold you. Roots connect you.
Not to the past— to the breath.」
───
(根はあなたを支える。根はあなたを繋ぐ。
過去にじゃなく—— 呼吸に)
───
その言葉を読んで、
ハルは、息を吸い、ゆっくり吐いた。
───
(……ありがとう、ヨル)
───
窓を開ける。
───
冷たい空気が、部屋に入ってくる。
───
胸の奥まで届いていく。
───
見えない根っこ。
───
でも、確かにそこにある。
───
それが、自分を支えている。
───
それが、呼吸を繋いでいる。
───
新しい一日が、始まる。
───
根っこと繋がった、新しい一日。
───
桜の木の下に、根と自分のルーツがある気がした。
───
土の中で、静かに呼吸している。
心呼吸ノート:根
根は、過去に戻るためのものじゃない。
もう一度、息をして生きるためにある。
根は、生まれた場所じゃない。
呼吸していた場所。
没頭していた場所。
時間を忘れていた場所。
境界がなくなっていた場所。
内側と外側の「あわい」。
それが、自分のルーツ。
息を止めるほど夢中になれた感覚。
それが、自分の根っこだった。
根は、光だけを吸い上げるわけじゃない。
暗闇も、雨も、冷たい土も、
全部、 養分にして、成長する。
母の痛みを、理解しなくてもいい。
背負わなくてもいい。
ただ、敬えばいい。
自分を作ったものとして。
自分の根の一部として。
息を吸って、吐く。
その呼吸が、根っこまで届いていく。
見えない根っこ。
でも、確かにそこにある。
それが、自分を支えている。
それが、呼吸を繋いでいる。
根は、過去へではなく、”いまの息”へとつなぐ導線。
静寂の余韻
Roots
見えない根が、 土の奥深くで、 呼吸している。
光も闇も吸い上げて、 生命を繋ぐ。
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