僕が製薬会社をやめたわけ⑤

自然療法との出会い

2012年頃から奥さん(今は別れたので元奥さん)は整体師になると言い出して通学を始めます。

それに伴って、代替医療・自然療法・食事療法・料理本・スピリチュアル・宇宙の真理などの本が書庫にどんどん収まっていきました。

薬もワクチンもよくない、食に関しても調味料を総取っ替えという感じで生活が少しずつ変わっていったのを覚えています。

それまでは調味料の合計1,000円だったものが、ある日突然醤油720mlだけで1,000円以上の値段になっちゃうわけです。

今なら醤油蔵できちんとした製造過程を経て商品化されたものであれば、それくらいするのは当然だと思っていますが、当時は「醤油が?!えー?!」みたいなレベルです。笑

僕は仕事柄当然「西洋医学」寄りの考え方だったので、家の書庫にある本はそれとは全く異なる考え方(要するにエセ医学みたいな見方)でした。

「薬を売っている夫と薬を反対する妻」という構造なので、普通なら揉めたりするんでしょうが、僕は自分のことで精一杯なので僕に悪影響が及ばないなら「好きにしたら?」という感じでした。

 

ただそういった流れから次第に「あなたも好きなことをしたらいい」と言われるようになりました。

「いやいや、お前に何がわかるんだ。」「遊びじゃねぇんだぞ。」「家族の生活を守る義務がある。と僕は言い返します。笑

(あ、イメージ図違うか。こんな喧嘩みたいなのはなかったな。笑)

 

そんなやり取りが増えるにつれ「仕事にやりがいを感じず、でも家族がいるし、仕事を辞めて何かしたい訳でもない、だから辞められない」と思っていた重い心の蓋が少しずつまた開いていったんだと思います。

押し殺していた感情がどんどん漏れ出しちゃったんでしょうねぇ。

天邪鬼だった僕もこっそり、次第に、少しずつ家にある本を読むようになりました。

自分の疑問や違和感が何となくわかるようになってきたのが2014年の終わり頃。

 

退職を決意

そして2015年の正月明け。

会社も年始まわりがスタートしますが僕は気持ちが乗らず。

 

でもすぐ成人の日で3連休がありますよね?

そこまで頑張りましたが体調不良でダウンして寝込みました。

 

その頃にはガン患者さんは35度台の人が多く、熱を出せるのは健康な証拠だとか。

高熱を出した後は体内のデトックスができるから知能指数とか運動能力がアップするとか。

薬を使って熱を下げるとデトックスがきちんとできないとか。

 

そういった知識をかじるようになってしまったこともあり、デトックスを続けること3日間、39度〜40度の熱にうなされながら過ごしました。

 

熱がようやく下がり意識が戻ったその時僕が発した一言は・・・これ。

 

「仕事辞めるわ。」

 

そこからすぐには退社しなかったものの、家の本は早々に読破し、1日あたり5冊ほどの本が毎日届き、ビジネス書や自己啓発書、心理学、量子力学、脳科学、哲学、神道など色んなジャンルの本を約3ヶ月読み続ける生活を続けました。(我流の速読もこの時に身につきます。)

 

高額のビジネスや自己啓発系セミナーにも行ける限り(高級車が買えるかな?)通ったのはこの頃です。

 

製薬業界を俯瞰する

知れば知るほど、様々なジャンルの方々も本質は同じことを言っています。

食も医療においては健康や環境という視点、ビジネスという視点では行き着く先はどこまでも重なりません。

政治や経済といった「お金」や「利権」が絡んでいるからこそ、僕がいた製薬会社は力を持ち、時には守られてきたということを深く知るようになりました。

僕がMRをやめたわけ①でもお話したこの構図はとてもよくできた理想的な形です。

 

患者:治りたい→病院に行く

ドクター:患者を治したい→薬を処方する

製薬会社:薬を売りたい→薬を製造開発する

 

繰り返しになりますが3者それぞれが、うまく噛み合っているビジネスモデルですよね。

だから製薬会社が「薬を製造して売る」ためには「病気が必要」になるわけですから、必要ない時にはそのレールから抜ければだけですよね。

 

だからちょっと考えて欲しいのは薬を早期から飲むような仕組みになっていたり、あるいは「病気」が作り出されている可能性もあるということです。

 

例えば

 

「診断基準」の正常の値は少しずつ引き下げられているとか。

 →それによって今まで要治療と診断がつかなかった人が薬を飲み始めます。

 

薬の服用によって症状が引き起こされる(頭痛薬の副作用で頭痛が起きる)ことがあるとか。

 →症状が頻繁に起きるようになるので服用回数が増える。

 

「薬を飲まなければ治らない」「薬は一生飲むもの」だと信じることとか。

 →薬に頼らないと生きていけない心と体になる。

 

ある症状症候群に「新しい病名」をつけて患者さんは薬を飲み出すとか。

 →箱を作ると入ってしまうという習性ありますよね。(あ、それ私だ!みたいなやつ。笑)

 

 

僕たち人間は「必要なものしか見つけない」生き物です。

知ろうとしない限り、それを受け入れようとしない限り、本当のことはわからないんです。

 

しかも、もうこれ以上科学も技術も進歩しないなんてあり得ないですしね。笑

 

正しいと思っていた事が間違っていると証明されるかもしれない。

証明されていなかったのではなく、証明する技術が追いついていなかっただけかもしれない。

「怪しいと思っていたことが当たり前」に「当たり前だと思っていたことが怪しくなる」かもしれない。

 

時代の変化を見たらそんな風に感じませんか?

 

西洋医学は人の命を救ってきた学問ではあります。

急性期においては最強の学問であり医療です。

ただ、全てにおいてそれが当てはまるのかというと僕はそうは思いません。

 

命に直接的に関わるものでなければ、もっと自分自身を信頼して心や体の声に耳を傾けてもいいのではないかと思っています。

もちろん豊富な知識と経験を持ったドクターは全国には大勢いらっしゃいます。

ただその専門家に自分の健康、ひいては自分の命さえお任せしてしまうのはもったいないのではないですよね。

 

自分がどんな生い立ちがあり、どんな生活を送ってきて、自分がどんな考え方をしてきたのかは本人にしかわかりません。

症状やそのつらさも本人にしかわかりませんしね。

 

その症状やつらさを解消するためには西洋医学だけでは網羅しきれない部分は多いのではないかと思います。

 

僕がMRをやめたわけ⑥ へ続く 

 

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